Part2看取りを理解する

認定NPO法人神戸なごみの家 理事長
松本京子

一部会員限定
ページあり!

2024年3月公開

1.生物学的な死を超えて

人気の4人組バンドが歌う「アポトーシス」という楽曲があります。この楽曲の歌詞をきいていると、これまで私たちが永く「死」について語ることを忌み嫌っていた社会に対し、死を避けられない出来事として受け止め、別れが近づく日々に体験する恐れや怖さを唄いながらも、限りあるいのちだからこそ生きる意味を問う楽曲でもあると思い、関心をもちました。

そもそも「アポトーシス(apoptosis)」とは、多細胞生物の個体を構成する細胞死の1つで、生体を維持するうえで必要なプログラムされた細胞死のことをいいます。私たちの身体を構成する約37兆個の細胞の一部は分裂を繰り返すうちに老化し、やがて分裂しなくなり死に至ります。これが「老衰」と呼ばれるもので、例外なく生物に共通する特徴です。

生物学者の小林武彦氏は、「そもそもなぜ生物は死ななければならないのか」という究極の問いを考えることで「今私たちが生きている意味も喜びや悲しみの根源も、そして自然とのかかわり合いの大切さも見えてくるはずです。すると恐怖の対象でしかなかった『死』というものがまた違った意味をもってくるかもしれませんね。」1と述べています。

人間は、進化の過程で脳を発達させてきました。また、長い年月を経て環境に適応する屈強な身体をつくってきました。同時に知恵を働かせて道具を発明し、言葉をもち、教育や人との出会いによってかけがえのない存在として個性を有するようになりました。そのような存在だからこそ、自然界の中で繰り返される生物の死と異なり、別れに伴い悲嘆や苦悩を強く体験するのでしょう。家族が抱える深い悲嘆は人間ゆえの反応であることを理解し、回復までのプロセスを支えられる専門職でありたいと思っています。

2.看取りの場で受け継がれるもの

看取りには1人ひとりのこれまでに生きてきた人生が反映されています。小さな声で発せられる言葉に思いがけない意味が込められていることもあり、はっとさせられます。

私たちは、本人の言葉を「一言ノート」と呼ぶノートに聞き書きし、家族に渡しています。1ページで終わるノートもあれば、1冊に及ぶノートもあります。時には家族が知って驚かれる言葉もあり、死にゆく人が人生の最期に発する言葉には遺された人を癒す力があると感じています。

看取りの場では生物学的な死とともに人としての固有の物語が終わり、残される人に、生きてきた思い出と一緒にバトンが受け渡されます。バトンには遺伝子が残っており、大切な人と別れる悲しみの中にあっても、それを受け取ることで、それぞれの記憶に思い出が刻まれていきます。

暮らしの中で迎える看取りは、最後の呼吸の瞬間まで1人の存在として尊厳を尊重されます。過剰な医療を受けたり、安全のために拘束されたりすることなく、自然の経過に任せて過ごせるのです。

米沢慧氏2は、看取りは「看取る力、見送る力、息を引き取っていく人の力を合わせること」と述べています。社会の変化によって核家族が増え、高齢者の独居世帯も増え、家族の看取る力、見送る力は弱くなっている面もあります。しかし、訪問診療、訪問看護、訪問介護など、さまざまな専門職が自宅での看取りを支援する活動は一定の成果を出して、独居でも自宅で最期を迎えることができると知り希望される人もいます。

超高齢社会を憂えるだけでなく、看取りを地域に取り戻し、混乱の時代を生き抜いてきた人が暮らしの中で最期まで尊厳をもって逝ける社会となることに今後も取り組みたいと思います。

引用文献

  1. 1.小林武彦:生物はなぜ死ぬのか.講談社,東京,2022:4.
  2. 2.米沢慧:いのちを受けとめるかたち.木星社,福岡,2015:86.
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