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オストメイト体験談 「明日へ向かって走り続ける人生」

2015年6月11日、アルケア株式会社千葉工場で「第29回オストメイトの集い」が盛大に開催されました。
講演会では、ご自身もストーマ保有者である金沢大学名誉教授、山本悦秀先生がスニーカー姿で登場。
3回の癌開腹手術を経て、なおマラソンを力強く続けておられる体験を披露されました。

はじめに

みなさん、こんにちは。私は少し前まで医学部で教えておりまして、私自身もストーマ保持者の山本悦秀と申します。本日はみなさんお仲間ということで、親しくお話をさせていただきたいと思います。私は、愛知県生まれで今年70歳。2011年3月まで金沢大学病院で歯科口腔外科の教授をしていました。専門は口腔癌で、約1000例の治療経験があります。

私は合計3回、癌の開腹手術を受けています。最終の手術から現在、7年3か月が経っており、その間無再発です。5年生存を期に、「仮設」と説明されて造設していたストーマを永久受容して、日本オストミー協会に入会し人生の新展開がありました。それでは、少し詳しく私の治療歴などをお話しましょう。

大腸癌の開腹手術歴

最初の大腸癌の発症は、2005年8月17日、ちょうど60歳のときでした。折しも韓国旅行に出かけた私は、現地にて腸閉塞でダウンしたのです。翌18日に何とか韓国から成田空港に戻り、東京の自宅までタクシーを飛ばしてもらいました。しかし19日も改善せずに嘔吐を繰り返し、東京の病院でついに大腸癌(下行結腸)と診断されましたが、何としても自分が働く金沢大学病院で手術を受けたいと家族を巻き込んで一苦労の末、漸く20日に金沢大学病院にたどり着き、手術となりました。

この無理をした4日間の報いか、その後24日間も鼻からカテーテルを入れられ、排液を続けることになりました。入院は通常なら2週間程度のところ、私の場合は34日間にも及びました。この1回目の治療は本当につらかったです。もちろん自分も働いている金沢大学病院での手術ですから、病理検査の報告書も院内の自分のパソコンから見ることができるのですが、怖くて手術後半年間は見ることができませんでした。見るとそこには「近傍リンパ節転移3個でステージⅢa、肝転移に十分に注意すること」と書いてあったのです。
病理の癌細胞も半年後に見ることができましたが、こんなものが自分の体にあったのかと「ああ、怖いなあ」とつくづく思いました。

1回目の手術後、41歳から走り始めていたフルマラソンに再挑戦して完走することができました。徐々に体力も回復してきたので、飲酒を再開していましたが、フルマラソンの翌月、2007年5月に「念のため」と言われて内視鏡検査を受けたところ上部直腸に癌が発見されました。私もその検査像を見て「これはダメかな」と思いました。
翌月に切除手術を受けました。手術では粘膜や漿膜面(しょうまくめん)には変化はありませんでしたので、「血行性転移」と診断され、こちらの方がショックでした。「血行性転移」は、癌細胞が血液を通して全身を巡り、一番弱いところに転移するものです。実際、術後の経過はすっきりとはしませんでした。

そしてその年の暮、ついに恐れていた肝転移が発現し、術前化学療法として抗がん剤の投与が始まりました。癌の手術よりもこの抗がん剤との戦いの方が大変でした。5回やる計画でしたが、あまりにも大変で、3回でやめてもらいました。あの思いはもうしたくないと今でも思います。
2008年3月、肝臓の右葉と胆嚢を切除する手術を受けました。その後は再発率6~7割、5年生存率は2~5割という中を生きてきましたが、3年間無再発で癌生還者への道に入り、現在7年3か月という記録を日々更新しています。

摘出された「リザーバー」

この手術後にも抗がん剤治療を2回受けましたが、皮下にポートという薬剤の入口を埋め込み、週末に46時間かけてゆっくりと抗がん剤を入れていくのです。この治療も手術よりつらいものでした。治療後2日間は起き上がれないため、月曜日~火曜日の欠勤届を出すというのが習慣になりました。
今年3月にはそのポートである「リザーバー」といわれる機器を除去する手術を受けましたが、7年半も皮下に鎮座していたので、皮下の軟組織が機器の小さな孔にもしっかりと食い込んで摘出に少し時間がかかりました。このリザーバーは体の一部になっていたのだと少し愛着が湧きました。
3回目の手術も安全を考え広い範囲を切除しましたので、肝臓の右側と胆嚢を取った後は本当に寂しいものでした。やはり体調もなかなか戻らず、マラソン大会に行っても走ることができないで、そのまま会場を後にするということもたくさんありました。

摘出された「リザーバー」

癌患者になってわかったこと

図1 口腔癌治療医として
変わったこと

このようにして私は、癌の術者と患者の両方を経験することができ、生活やものの考え方にさまざまな変化がありました。
まず口腔癌治療医として変わったことは、今まで治療成績ばかりに熱心でしたが、患者さんの心や暮らしに配慮がなかったと反省しました。
また、自分自身の発癌後は、患者さんに寄り添う気持ちがはるかに強くなり、「共に癌と闘う仲間」という意識が芽生えました。さらに、大腸癌であることを公表することで「実は私も…」と告白してくれる癌仲間が増えました(図1)。

図1 口腔癌治療医として
変わったこと

1人の入院患者という立場での心境や印象としては、医師として当たり前に使っていた「5年生存率◯%」という言葉は、患者自身にとっては『0%か100%しかない。』と思うことがよくわかりました。「生存率71%」と言われれば『3割は死ぬのか』と考え、「生存率20%~50%」と言われれば『死と正面から向き合う』ということで結構腹も据わりました。

さらに退院後には放り出された気になり、「再発の不安」が強くなることがわかりました。 特に体調不良のときには、つい「再発か…」と考えてしまうこともありました。最終の手術から2年を経たころからやっと体調が戻ってきました。

図2 自己管理

図3 一般的な再発不安対処法

自己管理としては、図2のような点が挙げられます。市民マラソンや、テレビのお笑い番組の気分転換は再発への不安を忘れさせてくれます。笑いはNK細胞の増加にもつながるという報告もあるほどです。
また私は研究者ですから、学会を中心に最新医学情報の収集に努力しました。さらに、妻の応援も得て食習慣を根本的に見直し、玄米、野菜、魚を積極的に摂り、動物性脂肪や酒はやめました。加えて、数千冊ともいわれる癌の闘病本をむさぼるように読みました。中には壮絶な闘病死の記録も結構ありましたが、落ち込むのではないかと思い、生還された患者さんの記録を優先して読みました。

図2 自己管理

癌の再発に対する不安はどうしてもついて回ります。一般的な再発不安への対処法を図3にまとめました。相談相手としては基本的に一番癌のことをわかっている主治医や、担当の看護師さん、治療経験に詳しい家族、そして強い仲間である患者会や癌体験者への相談、さらに友人やセカンドオピニオンをくれる医療者、そして今流行になってきた哲学外来のカウンセラーや、癌カフェなどがあると思います。

患者自身での対処法としては、「正しい」情報収集です。
ここであえて「正しい」としているのはインターネットで集める情報というのは、まさに玉石混淆でしかも情報過多であることを最初から念頭に置いておかないと、情報の渦の中で混乱するばかりだということです。大量の情報の中から正しい情報を見つけることが重要です。

一番の対処法は心身のリフレッシュです。私が一番やっているのが運動や旅行、趣味、私の場合はマラソンです。加えて「笑い」。癌には再発するかどうかというグレーゾーンがあります。このゾーンに笑いは有用だと思います(図3)。

図3 一般的な再発不安対処法

ストーマを永久受容して

さて、2回目の大腸癌手術を受けたときに仮設と説明されてストーマの造設手術を受けました。しかしこれが結局、永久受容となり、2012年に障害者手帳4級の受給と同時に日本オストミー協会に入会しました。最初はどうかと思っていたストーマも、趣味の市民マラソンには全く問題ありませんでした。

図4 自分流のストーマ装具
交換ノウハウ

8年前から今まで、ストーマ装具を570枚使用しました。探求心がある私は主要メーカー5社のストーマ装具を試して記録しました。使い心地は確かに製品ごとで違います。私独自のポイントでチェックし、装着感がないこと、どのくらいの期間装着できるか、マラソンに支障をきたさないかなど半分楽しみながら試用しています。現在使用しているストーマ装具は、いずれもこの3条件を満たしており、全平均耐用使用日数は5.13日でしたが、価格面ではかなりの差があることもわかりました。

自分流のストーマ装具交換のノウハウをまとめてみました(図4)。5社のストーマ装具を試用してわかったのは、交換時の注意深い手技が、使用日数の長短に影響するということです。まず粘着部皮膚の水分をよく拭き取り、乾燥させることが基本です。次にストーマ装具装着後、個人差はありますが数分間はよく圧接すること。そして装着後数時間は、内容物が下に向かうように座って過ごし、すぐには床に就かないことが大切です。
市民マラソンに行くときは、汗をかきますので前日にストーマ装具交換をしないこと。これは完全密着には丸1日は必要だという理由からです。

図4 自分流のストーマ装具
交換ノウハウ

そして私は走り続ける

オストメイトに共通して気になることとしては、温泉や銭湯での入浴がまず考えられます。専用のストーマ装具を使用して、節度あるマナーで「隅っこ入浴」をしています。また老後、自分でストーマ装具を交換できなくなった時のことも考えますが、これは肛門からの便漏れよりもケアは楽ではないかと考えて、くよくよ考えないことにしました。臭いについては、私はあまり気になりませんが、防臭剤は結構有効だと思います。社会的に公表するかどうかという点は非常にデリケートな問題です。私は医療者として公表して広告塔になろうと考え、その道を選びましたが、人はさまざまだと思います。

こうして市民マラソンの完走回数は682回、フルマラソン完走は21回、オストメイト・ランナーとしては211回走っているというのが、現在の私の記録です。私の活動は、「定年教授の癌克服ラン日記」という本にも書き、雑誌やテレビにも取り上げられました。
そしてオストミー協会の東京支部幹事に推挙され、若い方々と一緒に活動したり、各地で公演などもしております。

図5 オストメイト・ランナー
として一日も長く走り
続けたい!

我が国のオストメイトは約20万人いますが、オストミー協会の会員は、現在約9000名です。社会的に見ると離職者が増えており、これは協会の課題となっています。しかし、ストーマ装具など装具の改良はまさに革新的と言っても良く、我々の合言葉であった「オストメイトは不便であっても不幸ではない」から「我々はそれほど不便ではなく、不幸でもない」に変わりつつあります。

ランナーとしては、ストーマ装具をつけて走っても走行中はまったく問題なく、マラソン中は交感神経優位なため、便もストーマ装具内に溜まってこないということがわかりました。しかし、ここのところさすがに体力が衰え、3年前にフルマラソンを、2年前に30kmを、昨年はハーフマラソンを卒業しました。今年は15kmを最長目標に、当面は700回の完走を目標にしています。さらに10kmであれば当分はいけるものと期待しています。
最終的にマラソン人生を終える際には「市民マラソン様」には感謝の意を込めて、きちんとけじめをつけて終えたいと思っています(図5)。

図5 オストメイト・ランナー
として一日も長く走り
続けたい!

市民マラソンのランナーとして、オストメイト・ランナーとして1日も長く走り続けたいという決意を込めて、本日もこのようなスニーカーを履いてまいりました。現在では「癌からの生還に勝るもの無し、日々感謝。」という気持ちで毎日を過ごしております。

みなさん、ご清聴ありがとうございました。

山本 悦秀 先生

金沢大学名誉教授・城南歯科医院理事長 日本オストミー協会 東京支部 幹事

愛知県生まれ、70歳。2011年3月まで、金沢大学病院歯科口腔外科教授。
専門は口腔癌で約千例の治療経験。
大腸癌発症は60歳時。振り返れば予兆は1年半前からありましたが思いが至らず、腸閉塞にて準・緊急切除手術を受ける。以後、計3回の開腹手術を経て、7年3か月経過の現在、無再発。5年生存を期に“仮設”と説明されたストーマ(人工肛門)を永久受容し、日本オストミー協会に入会し、新展開をむかえる。 (2015年7月現在)