患者さんの“できる”が増えるリハビリテーション
生活再建に向けて、病棟から在宅へつなげるケア
令和健康科学大学 リハビリテーション学部 学部長/
カマチグループ関東本部 リハビリテーション関東統括本部長
稲川 利光
2022年5月公開
「もう死にたい、死んでしまいたい······」それがSさんの口癖だった。Sさんは88歳。脳梗塞の後遺症で重い麻痺があり、自宅で寝たきりで過ごすようになって何年も経つ。
Sさんは娘さんと2人暮らし。「娘の世話になって辛いだけ」、そう言っては「死にたい、死にたい」と暗い顔をする。私が往診に行っても「死にたい人の所に来て、先生何するの?」と話され機嫌がすこぶる悪い。
そんな中、私は、まだ幼稚園だった私の長女の恵子と入園前の次女の智子を何度かSさんの往診に連れて行った。子どもたちはSさんに無邪気に話しかけた。時には、枕元で歌を歌った。子どもたちが行くたびにSさんの顔が変わり、私の往診の時とは、まるで人が変わったように明るい表情を見せてくれた。
春の日差しがうららかな4月、病院の桜は満開になった。恵子は入学、智子は入園。二人の写真を撮ろうとしていたときだった。向こうから、Sさんが訪問看護のスタッフに連れられてやってきた。ストレッチャーに乗って、満開の桜を見に来たのだ。娘さんも一緒だった。気づいた子どもたちはSさんに走り寄った。
「おばあちゃん、こんにちは!」と恵子。Sさんはしばらく子どもたちを見ていたが、思い出したように「あぁ、あぁ」と明るい顔になった。
恵子がそっと「ばあちゃん、もうすぐ死ぬの?」と聞いた。
「ねえ、ねえ、おばあちゃん、もうすぐ死ぬんだよね」
Sさんは穏やかに恵子の顔を見ていた。
「おばあちゃん、どろどろごはんたべてるの」
「私はおかゆはもうまっぴらだよ」
「恵子もドロドロごはんきらい······ねえ、おばあちゃん、ちゃんと歯、磨いてる」
「おばあちゃんは入れ歯だから、洗ってくれるから」
「ふーん······」
その時、横にいた智子がSさんの手を握って「トモちゃんねぇ、トモちゃんねぇ、おばあちゃんのこと覚えてるよ」と話かけた。
「ありがとう。智子ちゃんはね、これからずっと、ずっと生きるんだから、おばあちゃんのこと忘れてもいいんだよ、でもね、おばあちゃんは智子ちゃんのことずっと、ずっと覚えてるよ」とSさん。「ううん、だいじょうぶ、トモちゃんねぇ、おばあちゃんのこと、ずっと、ずっと、覚えてるから」智子がそう答えた時、Sさんは桜の花を見上げるように、ハラハラとうれしそうに笑った。
老いは喪失体験の繰り返しと言われている。人は誰しも老いれば老いるだけ、無くすものがたくさんあって、やがて生まれてきた時のように裸一貫で最期を迎える。そうであれば、長い人生の終焉に及んで私たちが最期に希望むものは何なのだろう。
それは裸のわが身を暖かく包んでくれる優しさなのではないだろうか。地位や財産、かつての名誉などではなく、周りから差し伸べられる温かなかかわり。束の間でもよい、自分がここに居ることを知ってくれている人がいる。そんなかかわりこそ生きてきた大切な財産なのかもしれない。
老いにかかわりながら学ぶこと、それは自分の老いに対する準備なのだと思うのである。
Sさんと私の娘たち。子どもたちが行くたびにSさんの顔が変わり、私の往診の時とはまるで人が変わったように明るい表情を見せてくれた。
(写真はご本人・ご家族の同意を得て掲載しています。)
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